2012年01月27日
『 庵原 遺跡を見る会 』 始動!②
1月6日 『 庵原 遺跡を見る会 』 の野外学習で、
【 庵原地区 】 には、
あまり知られる事もなく調査し埋められた古墳が たくさん在った事実を知らされる事となった・・・。
上の写真は、 【 薬師平古墳群 】 の 【 3号墳 】 所在地。
『 清水庵原球場 』 駐車場から、 『 鶴舞の城 』 横の農道を上がり、
西に90度曲がった所の小屋の向こう側、字名を 『 薬師平 』 と言う。
多分、ここに積まれた大きな石は石室に使われていた物らしい。
昭和46年3月に発掘調査が実施され、
全長5.20m、幅1.45mの 【 横穴式石室 】 と7世紀後半~8世紀の須恵器片や土師器片が出土。
これは、ほんの1部で・・・ また次回に、つづく・・・。
2012年01月10日
『 庵原 遺跡を見る会 』 始動!①
【 庵原 遺跡を見る会 】 が新年早々1月6日(金)に、第2回目となる 野外学習を 実施 しました。
約20人弱の参加者が 『 清水庵原球場 』 に集合し、調査報告書に基づき、
その周辺に広がる古墳群について自分達で見て歩きながら勉強会を行いました。
上の写真は、庵原球場の駐車場~鶴舞の城~貯水タンク~高山 となる。
さあ、何処に在るのでしょうか。
つづく・・・。
2011年01月13日
通称 『 庵原田んぼ 』 の地下に潜入!?③
清水インター東、通称 【 庵原田んぼ 】 と言われていた場所。
庵原町 字 一丁田の 【一丁田遺跡】
今回は前回より少し北西に位置した場所を調査中にオジャマして来ました。
地表から4メートル程の地下に、まだ仮説ですが
古墳時代初期の田んぼ~あぜ道の姿を見る事が出来ました。
畦(あぜ)に囲まれた田んぼ1枚の大きさは 「 たたみ2畳ほど 」 で、
その理由として考えられる事は、
田んぼの水温を上げるために小さく囲むようにしたのでは・・・?と (専門家)
今後もう少し掘り下げて行く様なので重要な物が出てくることを期待しましょう。
奈良からやって来た 【 空中撮影用ラジコンヘリ 】
お見事
2010年11月29日
通称 『 庵原田んぼ 』 の地下に潜入!?②
お菓子処 『 庵昇堂 』 のブログから、
古代 【 いほはらの国 】 へ タイムスリップ
ここは静岡市清水区庵原町 字(あざ)一丁田(いっちょうだ)。
嶺神明伊佐布線建設予定地内にある 【 一丁田遺跡 】(いっちょうだいせき) です。
今現在は埋められてまた別の場所を発掘調査している最中ですが、
この時の調査で判った事、出土した物を簡単に説明します。
第2面からは、雨ごいが行われた可能性のある 【 牛か馬の下あご 】 の出土。
第5面からは、 【 土師器(はじき)の高台付小皿や刀子(とうす) 】 が出土。
第8面からは、 【 木製の銛(もり) 】 が出土。
この面が『古墳時代前期から中期ころ』のものと考えられています。
第9面~11面からは、 【 畦(あぜ)に使われた芯材 】
『 古墳時代から弥生時代後期 』 にかけての、
【 土器片 】 ・ 【 梯子(はしご) 】 や上の画像にある 【 田下駄 】 などが出土。
足跡も数多く検出
今後の調査が楽しみです。
2010年11月16日
通称 『 庵原田んぼ 』 の地下に潜入!?①
お菓子処 『 庵昇堂 』 のブログから、
古代 【 いほはらの国 】 へ タイムスリップ
ここは静岡市清水区庵原町 字(あざ)一丁田(いっちょうだ)。
嶺神明伊佐布線建設予定地内にある 【 一丁田遺跡 】(いっちょうだいせき) です。
今現在は埋められてまた別の場所を発掘調査している最中ですが、
この時の調査で判った事、出土した物を簡単に説明します。
ここでは、近世から弥生時代までの水田跡約11面が検出!
11面というのは、地表から地下へ向かい11段(層)の水田を見つけた、という事です。
途中、幾度か川の洪水で埋まったり火山灰の層もあったり・・・。
それでも ず~っと昭和の時代まで ここで お米が作られていたんですね~
つづく・・・。